マツダ車の歴史と歩み

マツダ車の歴史と歩み

マツダ車の歴史と歩み

マツダ 旧車

広島県を本拠地としている日本の自動車メーカー、マツダ。
始めはコルクを生産する「東洋コルク工業株式会社」としてスタートを切った同社ですが、1984年に社名を「マツダ株式会社」に改称しました。
広島から世界へ発信する高い技術力と不屈のチャレンジ精神に着目し、時代を創ったともいえるマツダの名車をピックアップしていきたいと思います。

■広島という土地柄

高い技術力を誇るマツダですが、一番の財産はその不屈のチャレンジ精神といえるでしょう。
戦後壊滅的な被害を受けた広島ですが、その復興は驚異的でした。
広島の町と共にあり続けたマツダにも、広島の町や人々のようにゼロから生み出す屈強な精神が受け継がれていると言っても過言ではありません。
彼らはどんな困難や壁に当たってもくじけない精神を持ち、技術力を日々磨いています。
「Defy Convention=常識を打ち破る意志」を常に掲げ、まだ誰も見たことのないクルマをつくりたいというマツダ。
未知の領域にチャレンジする精神はチームワークによって発揮されており、組織が一丸となり創意工夫して困難を乗り越えています。
生産・開発・営業機能が点在している自動車業界において、マツダは広島の地に集約されており、そしてそれが強固なチームワークを可能としているのです。
今後も世界中のクルマを愛する人々に向けて、まだ誰も見たことの無い魅力的なクルマを創り出してくれることでしょう。

■マツダの挑戦・ロータリーエンジンの開発

「挑戦」が組織風土として掲げられているマツダですが、その1つとして挙げられるのがロータリーエンジンの開発でした。
小型でハイパワーのロータリーエンジンを、当時世界中の技術者達が研究を重ねては実用化に失敗していました。
そんな中マツダは1967年販売のコスモスポーツに、ロータリーエンジンを搭載し、実用化にも成功したのです。
これは過去「実用不可能」とさえ言われており、マツダのエンジニア達の執念と不屈の精神が生んだ結果ともいえます。

■世界を魅了したマツダの走り

世界三代耐久レースとされ、「ル・マン」において、1991年、マツダは優勝を飾ることとなります。
24時間サーキットの周回数を競い合い、エンジンの耐久性や効率性が試される最も過酷なレースとして知られています。
これは技術者の努力の結晶ともいえるロータリーエンジンを搭載した車として、史上初めての快挙とされています。
1973年に初参戦してから完走できずにリアイヤし、13年間挑戦し続けたマツダがようやく手にしたトロフィーでした。

■世界各国でカー・オブ・ザ・イヤー等の賞を受賞した「SKYACTIV TECHNOLOGY」の開発

2011年、マツダはさらに革新的なエンジンの開発に成功しました。
マツダの技術者達は、現在使用されているエンジンから生まれるエネルギーが
実は30%しか使われていないことに着目し、エネルギー効率を高め、残りの70%をいかに減らすことができるかに注力しました。
広島の屈強な精神「ゼロからの復興」に基づき、まさにゼロからエンジンの基本設計の見直しを行いました。
その結果生まれたのが、その名も「SKYACTIV TECHNOLOGY」。
燃費・パワー・排気ガス性能を誇り、エンジン効率を飛躍的に高めた革新的なエンジンとして世界中から知られることとなります。
SKYACTIV TECHNOLOGY搭載の新世代車両の多くは、国内での評価のみならず世界各国でカー・オブ・ザ・イヤー等の賞を受賞。
ドライバーからも広く支持され、今後も更なる進化が見受けられる未来のエンジンともいえます。

■時代を創ったマツダの名車たち

長年に渡り、感性を込めたクルマづくりを行ってきたマツダ。
卓越したデザイン性を誇り、今なお伝説として語り継がれるクルマ「ロードスター」など、マツダのクルマには乗る人・見る人を虜にする魅力が詰まっています。
デザインテーマはまさしく「 Soul of Motion=鼓動」。人々の感性を揺さぶり、今にも意思を持って動き出しそうな生命感溢れる過去の名車をご紹介します。

<3輪トラック「マツダ号」(1931年~)>
マツダの原点ともいえるクルマで、当時の社長、松田重次郎氏の姓にちなんで名付けられました。
「クラス最高性能と最大積載量の実現」、「エンジンをはじめ各種部品の国産化」、「一貫した量産体制の確立」の3つをテーマに掲げ製造され、
エンジンやトランスミッションの自社製造を実現し、3輪トラック史上における一時代を築き上げました。

<ファミリア(1963年~)>
第二次世界大戦の復興を経て、高度成長期へと突入した日本。
それまで嗜好品とされていた乗用車の個人所有率が急激に伸び、自動車産業は劇的な飛躍を遂げることとなりました。
普及だけでなく高速化の時代を迎えていた情勢のなかでファミリアは誕生しました。
名前の由来はイタリア語で「家族」。家族が揃ってドライブに行く想いを込めて命名されました。
発売当初は2ドアで上下分割のテールゲートという車体で、駆動方式はFRを採用していました。
オールアルミ製の水冷OHV直列4気筒を搭載し、42馬力のオールアルミエンジンとして話題を呼び、
フラットデッキデザインを巧みに融合させた個性的なスタイルを作り出し一世を風靡しました。
発売の翌年にはオーストラリアのニューサウスウェールズ州で開かれた耐久レースでクラス優勝を飾るなど、華々しいデビューを飾っています。
度重なる改良を経て40年の永きにわたる歴史を刻んだファミリアは、コンパクトカーの価値を追求して生まれたクルマ<アクセラ>の誕生を受け、その役目を終えることとなりました。

<ルーチェ(1966年~)>
マツダ初の乗用車「R360クーペ」、「キャロル」、「ファミリアセダン」に続き、
これらの頂点に位置するクルマとして発売されたのが「ルーチェ 1500」でした。
名前の由来はイタリア語で「光」や「輝き」を意味する「LUCE」から。
その名に相応しいモダンで洗練されたデザインは、当初の日本車の中でも一際異彩を放った存在でした。
広い室内空間を誇り、最高速度150km/Lを発揮する新設計エンジンの採用など、あらゆる面で先進性を誇りました。
そしてその3年後に登場したのが「ルーチェロータリークーペ」です。
新開発のロータリーエンジンを搭載し、当時最高クラスの性能を誇りました。
大卒の初任給が3万円だった時代に、その価格はなんと145万円~175万円という強気の価格設定。
いつしか“ハイウェーの貴公子”と呼ばれるまでに至ったのです。

<コスモスポーツ(1967年~)>
伝説のスポーツカーとして名高いコスモスポーツは、1963年の東京モーターショーでその姿を公にしました。
当時の松田社長はそのプロトタイプで会場に乗りつけ、人々の視線を釘付けにしたと言われています。
近未来を彷彿させる先進的なデザインに優れた走行性を誇った同車は、今もなお憧れの存在として語り継がれています。
しかし華々しいデビューの裏では、技術者達の血の滲むような努力があったことを語らずにはいれません。
ロータリーエンジンの積載には、一定時間運転すると内壁面にチャターマーク(波状摩耗)が発生するといった大きな課題があり、
それを克服するのに技術者達は6年もの歳月を費やし、そしてついに完成したのが「コスモスポーツ」に搭載したロータリーエンジンなのです。
実際に販売が開始されたのは1967年5月からでした。その驚異的なスペックと先進的なデザインが受け入れられ、
スポーツカーとしては異例の、月間30台前後の売上を達成することとなりました。
コスモスポーツはロータリーエンジン搭載の歴史が始まった最初の1台として、マツダ史のみならず、自動車史に深くその名を刻むことになるのです。

<カペラ(1970年~)>
2ドアクーペと4ドアセダンのボディタイプを持つカペラは1970年5月に誕生しました。
目標として掲げていたのは「打倒フォルクスワーゲン」。
総勢300名のプロジェクトチームを編成し、ジェット戦闘機の性能とデザインを取り込んだ革新的な1台に仕上げました。
そして誕生してから8年後の10月、3代目のカペラが誕生しました。
「総合的にバランスのとれた高品質なファミリーカー」という目標の通り、3代目カペラは世界進出の布石となり、海外での知名度アップに一躍買うことになります。
そして4代目カペラは、マツダのスピリッツである“挑戦”を埋め込んだ車種ともいえるでしょう。
それまで主流だったFR方式を廃止し、ハンドリングを重視するFF方式を採用し、成功を納めたのです。

<初代サバンナ~サバンナRX-7>
1971年に、国内最強マシンと名高い「サバンナ」が鮮烈なデビューを飾りました。
力強い走りと美しいフォルムは、大草原を走る野生美とも比喩されました。
翌1972年に発売された12A型エンジン搭載型は、それまで国内レースで無敗神話を誇っていた日産「スカイラインGT-R」と激闘の末、
見事に王者を打ち負かす結果を見せました。
そして1978年3月には、後継モデルとされる「サバンナRX-7」が誕生しました。
その洗練されたスタイルと操縦性が世界から高い評価を得て、米国のモータースポーツで大活躍することとなりました。
日産フェアレディ240Zやポルシェ911などを相手に、IMSAシリーズ通算100勝という輝かしい成績を残しており、今なお伝説の名車として語り継がれています。

<ロードスター(1989年~)>
ライトウェイトスポーツカーとして1989年に華々しいデビューを飾ることになったロードスター。
ライトウェイトスポーツカーとは、軽量小型クルマにセダンなどで使われるエンジンを積み、軽快な操縦性を楽しむ車として60年代に一世を風靡したクルマの総称でした。
自動車の排ガス規制や安全基準の見直しによって、性能を残したままの生産が困難となったライトウェイトスポーツカーは、時代の流れとともにその姿を消しつつありました。
そんな中マツダは、技術を結晶させることで安全性能を追求し、軽量で高剛性の車体を造り出すことに成功しました。
デビュー以来世界中の人々から愛され続けているロードスターは、2000年5月には、2人乗りオープンスポーツカーとして生産累計がギネス登録されており、
スポーツカー史に深く刻み込まれる1台となりました。なおこのギネス記録は今もなお更新し続けています。
ロードスターの人気はマツダのみならず、他の自動車メーカーのオープンスポーツカー人気にも火をつけることとなりました。
そしてロードスターは現在でもあらゆる国・世代の人々からの人気を誇り、今後もマツダを代表するスポーツカーとしてその名が語り継がれていくことでしょう。

■まとめ

ゼロから創りあげる技術者の情熱と、広島という地に根付いたその妥協のない精神で人々を魅了してやまないマツダのクルマ。
止めることのない挑戦によって、今後も革新的な車を生み出し世界中の人々を圧倒させてくれることでしょう。

 

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