ホンダ車の歴史と歩み

ホンダ車の歴史と歩み

ホンダ車の歴史と歩み

ホンダ 歴史

「The Power of Dreams」をキャッチフレーズに掲げるホンダは、その独自性のある造りで
二輪車・四輪車のみならず航空機エンジンまで手がけ、世界をまたにかけて活躍するマルチ集団といえます。
創り出すものは機械ではなく「新しい価値」。創業してから現在に至るまで、ホンダは人々の夢を叶えるためにその価値を提供し続けているのです。
そんなホンダの過去から現在にかけの挑戦と、今後見据える未来に着目していきたいと思います。

■ホンダの始まり

子どもの頃から自動車や飛行機に強い憧れを持っていたという本田宗一郎氏は、高等小学校を卒業後すぐに
東京の自動車修理工場「アート商会」に入社することとなります。
人一倍の努力に周囲からの信望も厚く、後に浜松支店を設立し独立するまでに至りました。

当時から研究熱心だった宗一郎氏は、エンジン部品の1つ「ピストンリング」に注目し
浜松高等工業(現在の静岡大学工学部)で講義を聴講するなどし、研究を重ねました。
その後自身が設立した「東海精機重工業株式会社」で部品の製造を試みましたが、時代は太平洋戦争の真っ只中。
職員の徴兵や空襲による工場の破壊、1945年の南海大地震によってその研究は困難を極めました。

戦争終結から翌年、宗一郎氏は本田技術研究所を開設し、燃料機関や各種工作機械の製造を行いました。
藤沢武夫氏をパートナーとして迎え、以降は宗一郎氏との2人3脚で経営を行っています。
これが後の「本田技研工業株式会社」となり、現在まで続く業界のリーディングカンパニーとして名を馳せることとなります。
創業時の従業員はたったの34人、資本金は100万円。世界のホンダの始まりは、浜松の小さな町工場で自動車用補助エンジン製造から始まったのです。

■受け継がれる方針

驚くべきことに、ホンダの歴代社長は全員技術者出身です。
創業者の宗一郎氏以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験を持ち、それは現職に就いている八郷隆弘氏も例外ではありません。
創業者一族による会社の私物化を恐れ、縁故採用を一切行わず、「子どももホンダに入社させない」方針を持っていました。
中途採用も積極的に行っており、完全実力主義の世界でストイックな企業精神を持っているといえるでしょう。
現在においても様々な分野で進化し続ける理由は、妥協のないプロフェッショナル集団の技術力が結集されているからと言っても過言ではありません。

■「マン島TTレース」出場宣言!

マン島TTレースとは、英国王室が有するマン島で開催される世界的に有名なオートバイレースでした。
世界有数のオートバイメーカーが軒を連ね、当時日本のメーカーはまだまだ実力不足だと思われていました。
それは未だかつて日本車が参戦したことはなく、車が無事に完走できればそれだけで世界中から認められるほどの過酷なレースとして知られていました。
野心家のホンダは、無鉄砲ともいえるその挑戦を宣言し、1959年に初挑戦することとなります。
当初は完走さえ難しいと言われていたホンダ車でしたが、なんと4台ものマシンを完走させることに成功し、メーカーチーム賞を受賞しています。
そして3年後の1961年、ホンダ車は念願の初優勝を飾ることとなったのです。
ホンダのオートバイはただ優勝するだけに止まらず、125ccクラス、250ccクラスともに1位から5位を独占しての完勝でした。
この結果に世界のメディアはホンダを賞賛し、日本の持つ技術力を無視出来なくなっていったのです。

■初期の4輪車製造

<ホンダ T360>
1963年に発売された「ホンダ T360」が最初の4輪車として知られています。
軽トラックでありながらも異例の高出力エンジンを搭載し、後に「スポーツトラック」の異名を得ています。

<ホンダ S500>
そしてT360の後に販売されたのがS500です。元々企画して製造が断念されたS360の車体にさらにパワフルなエンジンを搭載しさらにパワーアップして登場したのがこの車です。
気品漂う存在感を放っていながらも、バイクで培われた技術が詰め込まれた、優秀な小型スポーツカーとして当時話題を呼びました。

■F1出場へ!-4輪車メーカーとしての地位の確立-

当時の日本では、トヨタ自動車を筆頭に高度成長期における乗用車の製造が急がれていました。
ホンダはマン島TTレース優勝も相まって、オートバイでは世界的に認められ始めていたものの、4輪車メーカーとしてはまだまだ弱小メーカーでした。
そんな中、2輪部門の陰でこっそりと計画されていたのがF1参戦の準備でした。
当初エンジンサプライヤーとしての参加を予定していたホンダですが、エンジン搭載予定のロータスから絶縁電報を受け、自社でシャシーを作ることを余儀なくされたのです。
ナショナルカラーにはアイボリー地に日の丸をイメージした赤をいれ、1964年8月のドイツGPで初参戦することとなったのです。
思わぬところから始まったフルコンストラクターとしてのF1参戦でしたが、この試合をもってホンダは日本で始めてF1世界選手権に参戦したメーカーとしてその名が刻まれることとなったのです。
初のF1マシン「RA271」は車体が重かったことが要因で思うような結果には繋がりませんでした。

ホンダのマシンが日の目を見たのは翌年のメキシコGP最終戦でした。
マシンを改良し「RA272」として参加したホンダは、参戦11戦目で見事初優勝を飾ることとなったのです。
2018年現在までF1出場を続けているホンダですが、数度に渡って休止期間をはさんでおり、初参戦から1968年までの期間を「第1期」としています。

■夢の実現「Honda Jet」

前述したとおり創業者の宗一郎氏は、自動車だけでなく飛行機にも夢を持っていました。
二輪車用の翼をイメージしたマークから見ても、その憧れがうかがえます。
しかし当時のホンダには航空機に詳しい技術者が1人もおらず、基礎から技術を習得する必要がありました。
それからというもの、ホンダは学生向けの軽飛行機コンテストのスポンサーになったり、新聞に軽飛行機技術者募集の広告を打ち出しました。
そして1964年、宗一郎氏念願の航空事業部隊である、「本田航空」を設立し、エアポートを整備しました。
1997年に製品第一号である「Honda Jet」の設計・開発が行われることとなり、プロジェクトが正式に開始されることになりました。
開発から実に約10年の歳月を費やし、2006年にようやく航空市場に参入することとなったのです。
Honda Jetを生産・出荷するためアメリカ合衆国のグリーンズボロに拠点を置いたホンダは、2006年に田技研工業から分社して「ホンダエアクラフト」を設立しています。
HondaJetの特徴としてまず挙げられるのがエンジンを主翼上に配置したユニークなアイデアです。
それによる低燃費と巡航速度がHondaJetのウリでもあるのです。
2014年には量産一号機の初飛行が行われ成功。2015年にはアメリカ連邦航空局から型式証明を取得し、同年中に初めて顧客に引渡しを行っています。

■思い出の名車に思いを馳せて

過去、2輪車・4輪車合わせて数々の名車を生み出してきたホンダ。
当時一世を風靡したあの懐かしの名車をそれぞれピックアップしました。

<ホンダCB72>

スポーツライダーなら当時誰しもが憧れた二輪車、それがホンダCB72です。
発売当初の有名なキャッチコピーは「トップで70km/h以下では走れません」で、その何ともキャッチーなフレーズで話題を呼びました。
世界一とも名高いレース「マン島TTレース」に出場を決め技術を磨いていたホンダが、満を持して発売したオートバイが
ホンダドリームCB72スーパースポーツでした。その鮮烈な登場にライダーたちの視線は釘付けとなり、瞬く間に人気に火がつきました。
それもそのはず、その性能は市販レーサー用のCR71と全く同じパワー数値を誇っており、馬力100、エンジン最高出力は24PSを達成していたのです。
ホンダCB72は1950年に発売されたホンダドリームC70をベースに構成されており、当時ではまだ珍しい2気筒 、しかもOHCエンジンを搭載していました。
その強烈なキャッチフレーズとは裏腹に、一般道路でも乗りやすい実用性も誇っていたのです。
一体ホンダCB72が人々をこうまで魅了する理由はどこにあるのでしょう。
その魅力に迫ると、まず見えてくるのがそのデザイン性ではないでようか。
黒を基調とした塗装に、輝くクロームメッキのタンク、そして見事な造形のエンジンが特徴的で、
見るものを虜にする斬新で洗練されたデザインがそこには詰まっています。
そしてその走行性はいうまでもないでしょう。異なる2種類のエンジンを搭載しており、
タイプ1が155km/h、タイプ2は145km/hまで速度を出すことができました。
レース用パーツも豊富に取り揃えられており、アマチュアライダーの心を掴んだことも人気の要因です。
レースを始めたきっかけがホンダCB72という有名ライダーも多いのです。
生産が終了したのは1968年ですが、今なお公道でホンダCB72を目にする機会が多いのは、この二輪車が時代も世代も超えて愛され続けている証拠といえるでしょう。

<ホンダS800>

伝説のスポーツカーとして名高いホンダのS800は、今でなお世界中のファンから愛されています。
創業当時から「今までに無いものをつくる」ことを目標として掲げていたホンダ。
日本だけでなく、世界にも類のない小型スポーツカーを創り上げたホンダがの集大成ともいえる名車がこのホンダS800なのです。
気筒DOHCエンジンを搭載したホンダS500から始まり、その発展型のS600は鈴鹿サーキットで開催されたGT-1レースで優勝を飾りました。
その瞬間S600は当時の若者たちの憧れの車になりました。
その後ドイツの<ニュルブルクリンク500km>耐久レースに初出場し、見事1000ccクラスで優勝し、ホンダは2輪車だけではないことを世界にアピールしたのです。
そして後継車S800、通称「エスハチ」が発売されることとなり、その頃人気は絶頂期を迎えました。
路上だけでなくレースでも活躍し、モータースポーツの入門車としてその名を馳せたのです。
走行性もさることながら、人々はそのスタイリングにも魅了されました。
居住性の高いコックピットやスポーティなステアリングホイール、大きなタコメーターとスピードメーター、インテリア・エクステリア全てにおいてS800は人々の憧れでした。

■まとめ

2輪車メーカーとしてその名を世界に轟かせたホンダですが、その後は4輪車、航空機でも活躍の場を広げています。
妥協のない技術力によって、今後もまだ誰も見たことのない夢を創造してくれることでしょう。

 

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