ダイハツ車の歴史と歩み

ダイハツ車の歴史と歩み

ダイハツ車の歴史と歩み

コーポレーションスローガンを「Light you up 〜らしく、ともに軽やかに〜」とするダイハツ工業は
1907年にの創業以来、世界中から愛されるスモールカーづくりをモットーに現在まで事業展開を行ってきました。
スローガンの「light」には、「輝かせる」という意味と軽自動車を彷彿させる「軽い」という意味が込められており、
負担の少ない軽やかな軽自動車で、使用者を輝かせるといった意味合いで使用されているといいます。
そんな社命を背負っているダイハツ工業の起源と軽自動車との関係、モータースポーツへの取り組み、過去の名車に焦点を当てていきたいと思います。

■エンジンメーカーから自動車メーカーへ

その歴史を辿ると明治40年まで遡ることとなります。
ルーツは大阪で、当時の大阪高等工業学校(現:大阪大学工学部)の学者や技術者達により結成された「発動機製造株式会社」から始まります。
創業時期だけで見ると、日本で最も古い量産車メーカーとして位置づけられています。
日本の近代化に伴い、自社で吸気ガス発動機を造ることを決意したことが会社の始まりとされており、
日本産業に貢献し、より人々の生活を豊かにしようという精神が今のダイハツにも根付いています。
そして後に小型ディーゼルエンジンの開発に着手し、エンジンメーカーとしての役割を担うこととなりました。

世界恐慌の真っ只中であった当時エンジンメーカーだった同社は、昭和5年に自動車メーカーとして初めての自主生産車「ダイハツ号」を発売しました。
「ダイハツ」は大阪の「ダイ」と社名の「発」を組み合わせて出来た愛称でしたが、後にこの愛称は社名に変更され、多くの人々から愛されることとなります。
小型三輪車であったダイハツ号は当時大変な人気を呼び、このダイハツ号を持って「スモールカーのダイハツ」への道を歩んでいくことになるのです。

■世界も認めたスモールカー

社名を「ダイハツ工業株式会社」へと変更したのは創業から44年後の1951年でした。
そして発動機製造株式会社時代から数えて創立50周年を迎えた1957年に発売したのが軽三輪車「ミゼット」です。
ミゼットは英語で「Midget=超小型のもの」を意味し、名は体を表すというように、小型で使い勝手がよく親しみやすいことで話題を呼びました。
その使いやすさと経済性から、主に商店や配送業者の間で人気を博した同車は、爆発的ヒットとなり日本のみならずインドネシアやタイなどの諸国へと輸出されるようになりました。

まだ自動車が嗜好品であった当事、一家に一台所有できる手軽さを目指して軽自動車は誕生しています。
取り回しの良さと経済性で家計にも優しく商用にも最適のミゼットが、国内外で人気を博したことは必然だったといえるでしょう。

ちなみにミゼットはテレビコマーシャルを宣伝に使った自動車の先駆けとも言われており、
「街のヘリコプター」といった、その外観を表現したキャッチーなフレーズを使用し、
当事高い視聴率を誇った「やりくりアパート」の番組最後に、主演のコメディアンを起用したコミカルな宣伝法を用いました。

■ダイハツと軽自動車

世界に目を向けてみると分かるように、軽自動車の概念は我が国独自のものとなります。
もちろん海外でも人気の国産軽自動車はありますが、海外に軽自動車の規格は存在しません。
まさに日本固有の商品といえるのです。
しかし軽自動車の開発が、海外へと通用するスモールカー作りの知恵となったことは言うまでもありません。
ダイハツは長年軽自動車を製作してきた強みを、マレーシアやインドネシアでの車作りに活かしており、ニーズに合った最良の車を提供し続けています。
日本人のための車を製作することは、ひいては世界貢献へと繋がるのだと信じて、ダイハツは日々開発を進めているのです。

■トヨタ自動車との関係

現在ダイハツ工業はトヨタ自動車の完全子会社として位置づけられています。
自動車業界再編の流れとなっていた1967年に、トヨタ自販・トヨタ自工と業務提供を行ったのが始まりでした。
1998年には子会社化し、2016年には完全子会社となりました。
普通自動車の開発に強みを持っているトヨタと、軽などの小型自動車に強みを持つ両会社が技術・ノウハウを共有することで、
グローバル展開を見据えた更なる発展を目的としてのことでした。

小型車戦略に関しては、ダイハツ車とトヨタ車の差別化を進めることで、それぞれのユーザーに寄り添った、最良の車を提供することを決意し、
技術戦略では、主にトヨタが環境や安全技術・快適技術の開発を進め、ダイハツではコスト削減や低燃費性、コンパクト化などに注力しています。

表向きには吸収合併されたダイハツですが、その内容からも、今まで培ってきた技術力がただ吸収されるだけではないことがわかります。、
トヨタの技術力を取り入れ、ダイハツの得意分野である軽自動車の開発に力を注ぐことによって、
お互いの得意分野を全力で伸ばしていく体制へと進化を遂げたともいえるでしょう。

■ダイハツとモータースポーツ

モータースポーツに熱心であったことでも知られるダイハツは、1965年に「コンパーノ・スパイダー」でモータースポーツデビューを飾っています。
そしてその翌年、「コンパーノ・ベルリーナ」をベースとしたプロトタイプ車両「P-3」で第三回日本グランプリデビューをし、
ライバル車達を打ち負かし、GP-1クラスで優勝を果たしています。
第四回大会では惜しくも予選で敗退してしまうものの、第五回大会では再びクラス優勝を果たしました。
そして有終の美を飾った形でダイハツ車はサーキットの舞台から姿を消しています。

その後ダイハツは、トヨタとの業務提携後にラリーやミニカーレースに活躍の場を広げことになります。
コンパクトカーのシャレードでラリー・モンテカルロに参戦し、初参戦から2年後の1981年についにクラス優勝を果たすことになりました。
その後シャレードは数多くの活躍を見せ、全日本ラリーでクラスタイトルを獲得するなど、多くの大会でその走破性を発揮しました。

1991年にはミラの4WDターボモデルである「クロスフォーアール」が誕生し、アルトワークスやヴィヴィオRX-RAと全日本ラリーで激闘を繰り広げました。
そしてモータースポーツにおけるダイハツの黄金期を飾った車種とも名高い「ストーリアX4」が発売され、レースを沸かせることとなるのです。
参戦初期は最大のライバルであるスズキ・アルトワークスからリードを奪うことが出来なかった同車ですが、ドライバー・原宴司選手を迎えたことで形勢は逆転。
2000年大会ではアルトワークスを寄せ付けず、全日本ラリー選手権・全日本ダートトライアル選手権で5年連続クラスタイトルを連覇すまでに至っています。

1995年から2008年まで、ダイハツは「ダイハツチャレンジカップ」と称する独自のモーターレースを展開しています。
参加者資格は運転免許を持っていることのみとされ、参加へのそのハードルの低さから、数多くのアマチュアレーサーが参戦しました。
これによってモータースポーツに目覚めたという現レーザーもいるほどの、意義のある大会でした。
しかし近年においては、自動車業界を取り巻く経済状況の流れや若者の自動車離れを理由に、ダイハツチャレンジカップは終了となり、
モータースポーツも活動休止しているのが現状です。

■過去の名車を振り返って

親会社のトヨタ自動車と比較すると、イメージまでもコンパクトになりがちなダイハツですが、同社には名車と呼ばれた車が数多く存在しています。
多くの車種の中から一部をピックアップしてご紹介していきます。

<ハイゼット>

1960年に初代が発売されてから、現在に至るまでロングランを続けているハイゼット。
軽商用車の先駆けともなった車種で、ダイハツでは初の軽四輪モデルとして登場しています。
初代の見た目は乗用車寄りであり、積載性と充実の装備品で数多くのユーザーからの人気を博しました。
現在のスタイリングに近づいたのは2代目以降で、形状はキャブオーバータイプとなり、より多くの荷物を積み込めるよう設定され、
トラック、バン、カーゴそれぞれが今でも主に法人ユーザーから高い支持を得ています。

<フェロー>

1966年に誕生したのがダイハツ初の軽乗用車、フェローです。
名前の由来は英語で「仲間・同僚」を意味しており、親しみやすさを込めています。
ハイゼットで培ったノウハウを活用し、国産車で初めて角型2灯ヘッドライトを採用し、スクエアボディで構成。
当事広い室内空間と積載性でも話題を呼びました。エンジンは2サイクル2気筒356ccを搭載、時速は最高100km/Lを誇り、
軽自動車のパワー競争の先駆けとなった車種ともいえます。

<ミラ>

現在でも販売されているロングヒット商品ミラの初代が誕生したのは1980年です。
発売以降数々の派生車種とモデルチェンジを繰り返しており、それだけ多くの人々の需要に叶った人気車種といえるでしょう。
ターボエンジンや4WD仕様車も販売されバリエーションに富んだシリーズ展開となっています。
その廉価な価格設定からも、個人ユーザー・法人ユーザー問わず愛用されている、まさにダイハツを支える車種の一台といえます。

<コペン>

その斬新でコンパクトな見た目で、見る人の目を惹くコペンは、まだ比較的新しい2002年に誕生しました。
1993年に生産中止となった軽オープンカー・リーザスパイダーが商業的に成功しなかったことから、その反省を踏まえた上での製造・開発でした。
コンパクトな見た目に反した快適性と、オープンカー特有の爽快感により、軽自動車以上のクオリティを実現しています。
現在においてもそのデザイン性は飛びぬけており、多くのファンが数多く存在することからも、街中で見かける機会は多いことでしょう。

■まとめ

人々を輝かせたいという企業スローガンを持つダイハツは、これまで数多くの軽自動車を世に送り出し、その責務を果たしてきました。
トヨタの完全子会社となった現在でもその精神は引き継がれており、今後も私達のニーズに寄り添った新しい車を提供してくれることでしょう。